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最高裁判所第二小法廷 昭和36年(オ)494号 判決

上告人

岡空滝

ほか二名

右三名訴訟代理人

松永和重

柴山博

被上告人

松下龍

右訴訟代理人

片山義雄

右訴訟復代理人

栄木忠常

森勇

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人松永和重の上告理由第一点および第三点について。

借地法六条の適用により、建物所有を目的とする土地の賃貸借の期間満了の後賃借人が土地の使用を継続する場合において、土地所有者が遅滞なく異議を述べないことにより前契約と同一の条件でさらに借地権を設定したものとみなされるためには、民法六一九条の場合と異り、土地所有者が賃貸借の期間満了を知りながらあえて異議を述べず、それによつて賃貸人の賃貸借契約継続の意思が推認できるような場合に限らないことは所論のとおりである。

しかしながら、賃貸借契約の締結が遠い過去に属し、賃貸人賃借人の双方共にとつて契約締結の時期があいまいになり、賃貸人に対し期間満了の際直ちにそのことを知つて異議を述べることが容易に期待できず、賃借人もまたその時期にはこれを予期していないような特段の事情がある場合においては、賃貸人が漸く期間満了の時期が到来したと推測して直ちに述べた異議が、訴訟における審理の結果判明した契約成立の時期から起算すると、賃貸借の期間満了後若干の日時を経過した後に述べられたことになるとしても、この異議をもつて借地法六条にいう遅滞なく述べられた異議に当ると解すべき余地がある。

原判決の確定するところによれば、本件土地賃貸借契約の成立は数十年以前のことであるが、契約成立を証する書面もなく、契約当初の関係者がほとんど死亡しているなどの事情のため、賃貸人賃借人ともにその始期を明確に知り難い事情にあつたこと、賃貸人(被上告人)は、賃借人(上告人岡空滝、同岡空林太郎両名の前主寺本みや)が地上建物を第三者に貸与して他に転居するに及び、自己使用の必要のため本件賃貸借契約を終らしめようと意図し、関係者を探索した結果、大正四年九月頃に本件地上の上告人所有建物が建築されその頃本件土地賃貸借契約が成立したものと考えて、昭和三〇年九月一〇日賃借人寺本みやの土地使用継続に対し異議を述べたこと、一方賃借人寺本みやにおいても、賃貸借の期間に関心がなく、賃貸人より前記の異議を受ける以前には賃貸人に対し賃貸借更新請求をなしていないというのである。

本訴において、本件賃貸借の成立時期を大正四年九月頃であるとする被上告人の主張に対し、上告人らはこれが大正二年三月頃であると争い、原審は、審理の結果知りえた原判決判示の懲憑事実を総合し、大正三年頃本件土地の賃貸借契約が成立したものと推認したのであるが、原判決の判示した右時期から起算すると、本件土地の賃貸借は途中一回更新されて昭和二九年春頃期間満了となり、従つて、前記賃貸人の異議は期間満了より約一年半を経過してなされたことになる。しかしなが、以上のような特段の事情の下においては、これをもつて借地法六条にいう遅滞なく述べられた異議に当るものと解しても同法の趣旨に反するものではない。

つぎに、所論は、所論は、被上告人が賃貸借期間満了後である昭和二九年度および昭和三〇年度の賃料名義の金員を賃借人より受領しているから、被上告人は異議権を放棄したものであるか、もしくはこれにより異議権を喪失したと解すべきであると主張する。

しかしながら、原判決は、被上告人が賃貸借期間満了の時期を昭和三〇年九月頃であると解していたことその他原判決の事情の下においては、右事実をもつて直ちに被上告人の異議権放棄の意思を推認することができないと認定したものであつて、右判決の判断をもつて違法ということはできないし、また、これをもつて異議権を喪失したと解することもできない。

原判決に所論の法律解釈の誤り等の違法がなく、論旨はいずれも採用できない。

同第二点について。

原判決判示の事情の下においては、被上告人のなした賃貸借継続に対する異議をもつて遅滞なくなされた異議に当ると解すべきこと前段説示のとおりであるが、原判決の所論の判示もひつきよう右の趣旨に外ならず、これをもつて原判決に違法のかどがあるものとすることはできない。論旨は採用できない。

同第四点について。

原判決は、判示の下においては、上告人岡空が本件土地上の建物を上告人中西に賃貸している事情をしんしやくしてもなお、被上告人のなした本件土地賃貸借継続に対する異議に正当の事由があるとしたものであつて、右判断は当裁判所もこれを正当であると考える。なお、所論は、原判決が、被上告人が上告人中西に対し、その希望があれば被上告人の現在使用中の建物を賃貸するのに吝さかでない旨の意向のあることを認定し、これをもつて正当事由の内容をなすものであると判示するが、被上告人の右意向は、前記異議の五年後である本訴口頭弁論期日に至り始めて生じたものであるから、正当事由の資料となりえない旨論ずるが、所論指摘の事実の有無は、前記正当事由に関する当審の判断を左右するに足りないから、この点をとらえて原判決を非難することは許されない。

原判決に所論の法律解釈の誤り等の違法がなく、論旨は採用できない。

上告代理人柴山博の上告理由について。

上告代理人松永和重の上告理由第一点、第二点および第四点に対する判示のとおりであつて、原判決に所論の違法がなく、論旨はいずれも採用できない。

よつて、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官奥野健一 裁判官山田作之助 草鹿浅之助 城戸芳彦 石田和外)

上告代理人松永和重の上告理由

第一点 原判決は

「本件賃貸借は、昭和二九年春頃には再度更新されたことになるわけであるが、如上認定の諸般の事情に弁論の全趣旨をあわせ考えれば、本件賃貸借については、証書もなく既に四〇年以前のことであつて契約当初の関係者は殆んど死亡していることとて、その始期を明確に知り難い事情にあつたものと解するを相当とすべく、現に賃借人からも右賃貸期間満了当時更新請求をした事跡は認められないのであつて、当事者はいづれも本件紛争にいたるまでは賃貸借の期間に関心はなかつたものの認められるのである。

そして後記認定の如き立場にある控訴人(被上告人)が関係者を探索した結果、慚く大正四年九月頃に本件建物が建築されたものとして昭和三〇年九月一〇日更新拒絶をするにいたつた経緯は、前記第三号証および原審ならびに当審における控訴人(上告人)本人尋問の結果により明らかであるから、かような場合には賃貸借終了後一年半を経ていても、土地所有者たる控訴人(被上告人)は、借地法第六条所定の遅滞なく異議を述べたものと解するのを相当とする。

けだし借地法は期間の定めのない賃貸借を認めない結果、同法施行前に設定した賃借権について経過規定(第一七条)を設け本件の如き場合には、二十年毎に更新したものとみなすことにしたのであるから、これに同法第六条をその字義通りに適用することは当をえないものといわねばならない」

と説示している。

右判文の論旨は晦渋であつて、その真意を補充するに苦しむものではあるが、これを要するに本件賃貸借の始期が明確に知り難い事情にあつたこと、当事者はいずれも本件紛争にいたるまでは賃貸借の期間に関心はなかつたこと。

被上告人が関係者を探索した結果、慚く大正四年九月一〇日更新拒絶をするにいたつた経緯および本件賃貸借には借地法の経過規定たる同法第一七条が適用されることを併せ考察すれば、賃貸借終了後一年半を経て異議を述べても、借地法第六条所定の遅滞があつたことは到底解されぬというにある。

ところで、借地法第六条および、借家法第二条、第三条は、我民法第六一九条とはことなりドイツ民法と同様に、当事者の意思とは没交渉一定の客観的事実に対し契約更新の効果を附与しているのである。いうまでもなく民法の規定においては、いわゆる黙示の更新が推定せられるに過ぎないのであるから当事者は反証を挙げて、その結果を覆えすことができるが、借地法および借家法のそれは、これをなす余地がない。

そしてこの「推定す」より「看做」えの立法上の変遷は、単に反証を許すとの形式上効果の上に差異あるに止まらず、制度の根本的作用に相違があるのである。けだし前者が、私法的自治の補助者たる立場にあるに対し、後者は補助者的立場から脱却して自らの理想を実現せんとするものである。

借地法借家法は借主の権利を、保護すると共に、社会の重要なる財産たる建物に対し、強い保護を与えようとしている。そしてその目的達成のためには当事者の意思の如何、土地所有者等の行為能力の有無、およびその過失の有無等はこれを無視するか少くとも軽く試価する必要を生ずる。

鳩山博士、日本債権法各論五一八頁、五一三頁、参照

ところで、原判決の態度をみると、主として当事者双方の主観的事情をたずね、よつてもつて、その責任の軽重をはかり特に、土地所有者たる被上告人の意思を推定して事を断じている。これは叙上の借地法の法意に全くもとるものである。

借地法第六条の趣旨は、不動産利用関係の合理的存続と、重要財産たる建物の保存という同法の社会的作用の貫徹にあるのであるから、その解釈は、あくまでも制度の社会的意義を案じ取引通念に照らしてなさるべきであつて当事者の主観的事情ないし、その意思は極めて軽く試価されてしかるべきである。(学説は賃貸人に過失の貴任をも必要としないという前掲参照)上告人は本件賃貸借終了の時期たる昭和二九年春(遅くも同年五月三〇日)以降本件宅地を引続き使用し来り、且被上告人はこれに対し昭和三〇年九月一〇日までは異議を述べず、その間昭和二九年度分の賃料を同年一二月末に異議なく受領している。

原判決は右事実に対し、被上告人について宥恕すべき事情があることを論ずると共に上告人が更新請求をしなかつたことを責めるのであるが、借地法上賃借人には更新請求の義務はないのであつて反つて、賃貸人において、借地権終了の時期について注意を払いその終了後遅滞なく異議を述べる必要があり、これがない限り借地法第六条の法定更新が、当然に生ずるのである。よつて借地権終了の時期を知る責任は賃貸人にある。その上、本件においては、被上告人は借地権消滅後一年半を経過した後に異議を述べている。この一年半という期間はそれ自身、社会的通念上遅滞ないというには程遠いものであることは今日までの判例を通覧すれば自ら明らかである。

大審院昭和三、一〇、三一、判決、東京控訴院昭和二、一二、二〇、判決、東京地裁昭和一二、五、一八、判決、東京控訴院昭和五、一〇、一一、判決、参照

よつてみると少なくとも右の一年半の徒過が被上告人の責任でないことは被上告人において主張立証せねばならない筋合である。

然るに第一審第二審を通じ、被上告人の立証は本件賃貸借の始期が、大正四年九月以降にあることに主眼がおかれ、それが大正三年春以前である場合にも遅滞につき被上告人の責任がなかつたとの主張、立証は全くない。してみると右遅滞は被上告人の責任であると認定さるべきである。(このことは一面、一年半の期間経過は「遅滞あり」との認定を受けても止むなしとの被上告人の自覚を示すと共に、社会一般の通念を被上告人自身が表明したものに外ならない)

又、被上告人は、上告人について、借地権消滅の時期を確めたとの立証もない。

以上の何れの点よりするも、一年半の徒過は被上告人の責任に属すること、全く疑いの余がない。

次に原判決は被上告人が昭和三〇年度の賃料を受領したことが、異議権の放棄とならないと説示している。然し被上告人は右昭和三〇年度分の賃料受領のほか昭和二九年一二月末頃にも借地権消滅後の七ケ月分に相当する賃料を異議なく受領しているのであるから、被上告人が借地権終了の時期を誤認していたとしても、これにより上告人に対し、契約更新について、強い期待を与えたことは当然である。従つて、被上告人は上告人に対し右期待を尊重する責任がある。昭和三〇年分の賃料受領は被上告人の右責任を倍加するものである。

これを要するに被上告人が借地権消滅後一年半を徒過したことも、一年七ケ月分の賃料を異議を求めず受領したこともすべて被上告人の責任に属する。

ために上告人は契約更新につき、強い期待を与えられ、その社会的活動は本件借地権の上に築かれ来つた。

たとえ被上告人の右行為が本件借地権の消滅時期を誤認したことにもとづいているとしても、被上告人の右誤認は借地法の不知又は借地法に関する法律の錯誤に起因するものでなく、単なる事実の誤認に過ぎず、結局被上告人の重大なる過失に出ずること明らかである。

してみると、被上告人の過失による結果を、全く、責任のない上告人に帰せしむることはできない。

昭和六年(ワ)第五五三号裁判年月日不明、名古屋地裁、民二、判決新聞三三四六号(昭和六、一二、一五)八頁。

原判決のこれにつき説示するところは被上告人には更新の意思がなかつたことと、その過失には宥恕すべきものがあるというに止まり被上告人の過失について被上告人に責任が全くないとか、上告人側に責任があるとかいうところまでに及ぶものではない、借地法第六条は借地権の消滅に際し、その社会的、経済的重要性に鑑み、その迅速且確定的処理を促進し、以て取引の安全を保証し且できる限り建物の保存と、借地権の継続をもたらそうとするものであつて、既に相当期間を経過しその間貸料の授受が行われたりして、借地権者の社会的活動がその上に築かれていればこの客観的事実に対し法定更新の効果をむすびつけるのである。

従つて貸貸人の意思又はその主観的事情によつて既成の借地権者の社会的経済的基盤がくつがえされては、右の規定は全く意義がなくなつてしまう。

原判決が、被上告人の一年半に亘る期間の徒過とその間二回に亘り、合計一年七ケ月分の賃料受領の事実を認定しながらこれに対する取引通念上の評価を明らかにしないで、単に被上告人の意思とその主観的事情から、被上告人に慚恕すべきものありとしてこれに伴う一切の不利益を責任の全くない上告人に帰せしめたのは本来顛頭の甚だしきものである。

以上何れの点よりもするも原判決は、民事訴訟法第三九四条後段又は同法第九五条第六号により破棄を免れない。

第二点<省略>

第三点 原判決は、

「もつとも控訴人(被上告人)は賃借人岡空林太郎から昭和三〇年度の賃料として評価額の千分の三の一二ケ月分九三三五円を控訴人(被上告人)の銀行口座に払込んだものを受領したことを自ら認めている。けれども、前記の如く、控訴人(被上告人)は昭和三〇年九月中に期間が満了するものと解していたことと、本件賃料は一年分をまとめて支払う約定であつたことは前記当事者双方の本人尋問の結果により明らかであること、右賃料は前記の如く約定賃料ではなく賃借人において一方的に定めて支払つたことおよび前記更新拒絶の意思表示の直後建物収去土地明渡の調停の申立をしてそれが続行中であつたこと等を彼此勘考すれば右金員の受領をもつて異議権を放棄したものとは認められない。」

と説示している。

しかし借地法が法定更新の制度を設けたのは、当事者の意思の推測を根拠とするものでなくて、借地権の社会的経済的重要性に鑑み、その消滅の際におてに迅速且確定的処理を促進し、以て取引の安全を保証すると共にできる限り借地権の継続と建物の保存をもたらそうとするにある。従つて借地法第六条の解釈上は、賃貸人が無条件に賃料を受領する行為はその受領行為が、借地権者に契約更新につき強い期待を与え、その社会的経済的活動の基盤をおくことを許容したことに対する賃貸人の責任が問題なのであつて、異議権の放棄とみ得る場合はこの責任が最大である場合に過ぎない。

プロイセン法が明文(三二六条)を設けたり、学説が立法論として異議を述べるを得ざらしむるにいたる賃料受領の最短期間を法定すべしと提唱するのはこの故である。

広瀬武文、借地借家法の諸問題、二三六頁

借地権消滅後一年七ケ月分の賃料を無条件に受領したという行為は、社会通念上賃貸人の責任を生ぜしめずにはおかぬところのものである。

東京地裁、明治四四年(レ)第二五号判決、法律新聞七九二号一九頁、東京控訴院、大正一一年三、一三、判決、法律新聞一九六七号一〇頁

従つて原判決としては被上告人の右の責任を、取引通念に照らして評価した上で、この責任と期間徒過に対する責任とを綜合して考察を行うべきであるのに単に異議権の抛棄とは認められないとの一事を以て、これに関する一切を考慮の外においたことは、法律の解釈を誤つたものである。

よつて原判求は、民事訴訟第三九四条後段又は同法第三九条第六号により破棄を免れない。<以下省略>

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